カネキヨ食品 商品カタログ
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宇和島駅構内にあるお恵ちゃんの電話ボックスタルトは定行が長崎から伝えた日本最小の在来馬である野間馬は定行の放牧、飼育から始まる松山 恵子(1938~2006)  本名 岡崎恒子として宇和島で生誕。16歳の時に全国歌謡コンクールで優勝し、翌年「マドロス娘」でデビュー。2年後「十九の浮草」が大ヒットし一躍スターになり、翌年NHKの紅白歌合戦に「未練の波止場」で出場、以来7年連続の出場をする。ヒット曲に「お別れ公衆電話」、「東京なんて何さ」、「人生ありがとう」などがあり、代表曲「だから云ったじゃないの」の歌詞「あんた泣いてんのね」は流行語になる。フランス人形のような容姿と、その親しみやすい人柄からお恵ちゃんと呼ばれる。平成元年8回目の紅白歌合戦に出場。平成7年には日本レコード大賞功労賞を受賞する。  昭和13年~平成18年松山恵子松平 定行(1587~1668)  徳川家康を伯父として三河国に生誕。加藤嘉明、蒲生忠知に代り松山藩主となる。道後温泉を整備し、一の湯は武士僧呂、二の湯は婦女、三の湯は庶民男子、養生湯、さらに馬湯まで設ける。 また松山城の天守閣を五層から三層に改築、筍や茶の栽培など殖産興業政策を進めるなど、松山藩の基礎を築いた。家督を嫡子定頼に譲って後、温泉郡東野村(現松山市東野)に隠居し、82歳で永眠、墓所は松山市祝谷常信寺にある。天正15年~寛文8年まつやまけいこまつだいらさだゆき愛媛の著名人

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