カネキヨ食品 商品カタログ
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伊丹 万作(1900~1946)  松山市湊町に生まれる。現在の松山東高に在学中雑誌「楽天」の同人となり、後の映画監督の(伊藤大輔)や俳人(中村草田男)らと親交を深める。卒業後上京し、画家を目指し洋画を学んでいたが、紆余曲折あり画家の道断を断念。伊藤大輔の勧めでシナリオを書き、映画界への足掛かりとなる。「天下太平記」で脚本を、「仇討流転」で監督。万作の演出には、その当時の時代劇にはなかった柔軟で独創的な風刺が込められており、映画界随一の「知性派」として大監督の一人に数えられている。明治33年~昭和21年伊丹 十三(1933~1997)  映画監督伊丹万作を父に持ち京都市に誕生。父の死後、松山市で高校生活を送る。27歳で俳優デビュー、キネマ旬報助演男優賞を受賞。その傍らでエッセー、翻訳、イラスト、雑誌編集を手掛け、ドキュメンタリー番組やテレビCMの制作に携わるなど多彩な才能を発揮する。 51歳の時に映画監督としての作品「お葬式」で日本アカデミー賞、キネマ旬報ベストワン等、数多くの賞を受け、その後も「タンポポ」「マルサの女」、「あげまん」などのヒット作品を生み出す。エッセイストとして、「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」「日本世間噺大系」などの代表作がある。昭和8年~平成9年万作オリジナルの芭蕉いろはカルタ万作が眠る墓愛猫「コガネ丸」のイラスト伊丹十三記念館いたみまんさくいたみじゅうぞう愛媛の著名人

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