カネキヨ食品 商品カタログ
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秋山 好古(1859~1930)  好古は松山城下の歩行町で生誕。藩校の明教館では優秀な成績を修め維新後、大阪の師範学校から名古屋の小学校教員になりその後、陸軍士官学校騎兵科へ進み軍人への道を進む。明治20年からフランスへ留学し、帰国後当時の陸軍のドイツ式からフランス式にすることを進言し新しい日本の騎兵隊創設に尽力する。日露戦争ではロシアの騎兵団と戦い勝利に貢献し「日本騎兵の父」と呼ばれる。 第一線を退いた好古は現、松山北高の校長となり厳しくも温厚な人柄に人々の尊敬を集め親しまれた。安政6年~昭和5年秋山 真之(1868~1918)  秋山好古を兄に松山城下に生まれる。正岡子規とは同級生。兄の援助で現、松山東高に入学、海軍兵学校を主席で卒業後軍人となる。日清戦争では航海士として従軍後、アメリカへ留学し、近代海軍戦術を研究。日露戦争では連合艦隊次席参謀として従軍し、日本海海戦では「本日天気晴朗ナレド浪高シ」と名文を打電し、意表をつく戦法により日本海軍を勝利に導く。 その後、海軍中将に昇進するも49歳で病没。子規や好古とともに主人公として描かれた司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は有名。明治1年~大正7年秋山両将遺邸の地生誕地にある銅像梅津寺にある銅像あきやまよしふるあきやまさねゆき愛媛の著名人

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